合宿免許へ興味を示そう
私はわかりやすくと思い、「全く恋愛と同じです」とおこたえした。
「苦しいといえば苦しい、楽しいと申せば、またこれほど楽しいものはありません。
俗言に『惚れてかよえば千里も壷』という言葉があります。
他人から見れば、よりもまあ夜の目も寝ずに苦労してくと思われることでしょうが、本人にしてみれば、これほど楽しいことはありません」 殿下は私のおっちょこちょいな説明に、妙な表情を示された。
私は家、帰ってから、この話を妻にすると、彼女はさも当然だという顔つきで、「殿下に恋愛の苦労なんて、それは」といいかけたが急に真顔になって「あなたはまたどこかで、そんな苦労を 昭和三十二年、私はイギリスのマン島において、毎年行なわれるオートバイの世界選手権レースを見学してきた。
T・Tレースといい、オートバイ界きっての世界最高の者たちが集まってくひろげるスピード競走であく、伝統的にも技術的にも有名なレースである。
一周六十キロ七周、計四百二十キロの大レースだ。
日本などではとても見られないレースである。
出場するオートバイの性能も、日本産は問題にならない。
一万三千回転(当時日本では普通七千五百回転)ということは一秒間にエンジンが百回以上爆発しないと出せない回転数である。
日本では普通七十回くらいの爆発数である。
容積でいうと一リットル当たり百四十馬力(日本では六十馬力)以上の力をもっていることになる。
どうしてこのようなエンジンができるのであろうか1全くの驚異というほかはない。
私がわざわざこの大レースを視察に行ったのもいつかはかならずその大レースに、日本からも参加し、優勝したいものだと考えたからである。
当時はまだまだ日本の前途には、遠い道程があるといった感じを抱かざるをえなかった。
というのは、日本ではオートバイの高速度の研究がほとんど放置されていたからである。
まずその研究から徹底的に、一歩一歩ときわめていかなければならなかったからだ。
レースは二百二十キロ以上の時速によって勝敗が決せられる。
私が嘗て自動車競走で転倒したときの速度のほぼ二倍である。
文字どおりひとたび事故を起こせば、死に神のロ、そのままとびこむよりほかに道はない。
私はマン島のレースを観て完全に高慢な鼻を、し折られたが、それと同時に新しい、かつて感じたこともなかったほどの強い勇気の湧いてくるのを覚えさせられた。
それは一種の嬰心ともいえる。
かならずスピードに勝ってみせる。
日本のエンジンの技術を世界にヒレキしてやろう。
かつて、私はヨーロッパ随一といわれるイタリーのオートバイ工場を見学したことがある。
その工場の専務級の人が、私が日本から見学にきたということを知ると、さも感にたえぬといった表情でいったものだ。
「ほう、日本でもエンジンができるのですかね。
」 驚いたのは私のほうである。
戦後の日本再建はうまず輸出からであるといわれる。
私もそう考えている。
それには日本の製品を売るだけでなく、日本の技術をも海外に進出させ、伸長させる必要がある。
そのためにも、戦争に敗れたとはいえ、日本は健全であるということを世界に示さなければならない。
オートバイに関していえばTレースに出場し、優秀な成績をおさめることこそ、その捷径ではなかろうかと考えている。
その日のくるのを私は大きな夢の一つにしている。
赤と青の帽子に赤いアロハ姿で先日も私はスピード違反で交通巡査につかまった。
型どおり、免許証を見ていた巡査は、そのスピード違反の記録にあきれ顔で「今度つかまると免許証をとり上げますよ。
どうしてこんな違反を?」「そりゃ急ぐ用があるからですよ」と私はこたえるしかなかった。
「いったい職業はなんですか。
そんな急ぐ用があるなんてと巡査は私を見すえた。
「何に見えますかね?」「その恰好じゃ、さしずめ、サーカスの団長というところですかなく」と巡査は私の姿を見上げ見おろしていた。
これには私も二の句がつげなかった。
ではと仕方なく名刺を出したが、巡査は名刺の活字を信じないのだろう。
「その恰好で社長なんて」と巡査は疑わしそうな目を向けた。
「それに社長にしては若すぎますよ」 私はその最後の言葉が気に入った。
背広を着たことのない私はなるほどまだ若いくのだ、と自分でも思っている。
とすれば、スピードレースに出場する資格も、まだ充分そなえているに違いない、と私は少年時代から抱きつづけてきた、あのスピード、の夢を夢見ているのである。
わが社はオートバイ並びにエンジンの生産をもって社会に奉仕することを目的とする。
そこにはつくるものの喜びと売る人の喜びがなければならない。
重要なことは、わが社の管等買ってくださる顧客に喜んでもらうようにしなければならない。
つくって喜び、売って喜び、買って喜ぶ三点主義こそ、わが社存立の目的であく、社是でなければならない。
第一のつくる喜びとは、技術者のみに与えられた喜びであって、造物主がその無限に豊富な創作意欲によって宇宙自然の万物をつくつたように技術者がその独自のアイデアにより、文化社会に貢献する製品をつくり出すことはなにものにも代え難い喜びである。
しかもその製品がすぐれたもので社会に歓迎されるとき技術者の喜びは絶対無上である。
技術者の一人である私は、このような製品をつくることを常に念願とし、努力している。
第二の喜びは製品の販売にあたる者の喜びである。
わが社はメーカーである。
わが社でつくつた製品は代理店や販売店各位の協力と努力とによって、需要者各位の手に渡るのである。
この場合に、その製品の品質性能が優秀で、価格が低廉であるとき、販売に尽力される方々に喜んでいただけることはいうまでもない。
良くて安い品はかならず迎えられる。
より売れるところに利潤もあく、その品を扱う誇りがあく、喜びがある。
売る人に喜ばれないような製品をつくる者は、メーカーとして失格者である。
第三の喜び、すなわち買った人の喜びこそ、最も公平な製品の価値を決定するものである。
製品の価値を最もより知り、最後の審判を与えるものは、メーカーでもなければ、ディーラーでもない。
日常、製品を使用する購買者その人である。
私はわが社の製品の価値は、製品そのものが宣伝してくれるとひそかに自負しているが、買ってくださった方に喜んでいただけることを信じているからである。
この三つの喜びが完全に有機的に結合してこそ、生産意欲の昂揚と技術の向上が保証され、経営の発展が期待されるわけであく、そこに生産を通じて奉仕せんとするわが社存立の目的が存在する。
わが社がその目的を実現することは、とくもなおさず、その製品に本田の精神がにじみ出ているようにすることにはかならない。
買う人、売る人、つくる人まで、みんなが喜ぶ製品がつくり出されるためには会社は常々次のような方針に則って運営されなければならない。
製品はすべて従業員の努力と研究の精華であり真心のこもったものであることが必要である。
このことはすべて生産にたずさわるものの人間完成こそ、重要な前提でなければならないことを意味する。
わが社の職場は生産の場であると同時に、従業員の修業と陶冶の場でなければならないし、そこに蓄積される人間的な力と善意こそ、世界の市場に歓迎される商品を生み出すためのよりどころとなることを確信する。
合宿免許からはシャープな印象を受けました。芸能人のブログでも紹介されている合宿免許です。
合宿免許は万全ですか?秋葉原でしか手に入らない合宿免許です。
皆様に合宿免許です。お客様から合宿免許の喜びの声を頂いています。